Masuk帰国した翌日、旅の疲れも取れ頭もすっきりクリーンになったところで
異国の地にいる夫にメールを送った。 日曜日だから、ちょうどよかった。 それとも女と一緒でニャンニャンするのに忙しいだろうか!ええい、ままよっ!
メール投下。 『休日だけど、今何してる? いろいろと忙しい?私からの家族一緒にそちらで暮らす提案がこれといった理由もなくあなた
から一蹴されて、腑に落ちなくて……それであなたに会いに今回行ったんだ けど……その理由が分かっちゃったよぉ~? フフン~』 さてさて、すぐに返信がくるだろうか。 流石にまだ午前中だからか、思ったより早く返信があった。『突然訪ねて来て俺を驚かせたと思ったら、今度は日本から訳ありなメールで
俺を驚かせるんだ? 言ってる意味がわからん! マジわからんわ。何それ?』 『そうなの? おかしいなぁ~。 悲しすぐるぅ(´;ω;`)私は顔文字を付けて送信した。
『なんか、離れてるからいろいろ考えすぎるんだよ。 前も言ったけど、暮れには帰るからね……絶対。 だからあんまりあれこれ悩まないように! 』 悩まないように? ナヤマナイヨウニ?夫に浮気相手ができて、それを知って悩まない妻がいたらお目にかかり
たいもんじゃ、いや(オチツクノヨ)……お目にかかりたいもんだわ。 『現地妻……東南アジアに単身赴任する人って現地妻作るのは よくあることなの? 』返信が止まった。
そりゃあそうだ。 『ねぇ、あなたの周りに現地妻作ってトラブル起こしてる人いないの? 』 『さぁ、どうだろう。 まだこちらに赴任してきて1年も経ってないから』 『そっか、そうだよねぇ? 自分のことでいっぱいいっぱいで人のことなんて興味もないよね?」 『なんか、変だよ? どうしちゃったんだ? 』 『変なのはあなたよ。 知ってるのよ……わたし』 『なにを?』 『何だろう?』」 『押し問答したいの? まさかね』 『あなた、浮気してるでしょ? 』 『してない』 『とぼけても無駄よ。 証拠押さえてるからね。 取りあえず、今の相手と別れてください』『バカだなぁ。
別れるもなにも、そんな相手いないんだから』 別れて下さい、私はそうあなたにお願いしています。 このこと、忘れないで。じゃあ』『君の勘ぐり過ぎだから、落ち着いて』
言われなくたって落ち着いてるわ……よ。 たぶん。「果歩、今でも全く俺や他の家族のこととか、過去の暮らしに関して 何も思い出せないのか? 」 「はい……なにも。すみません」「いや、しようがないよな、事故に遭ってそうなったんだし。 まぁアレだ。 だけどこうして俺と再会できたんだし少しずつでいいよ、一緒に暮らして いるうちに思い出せることもあるかもしれないし。 俺たち夫婦だったんだから戻ってくるよな? 」「ごめんなさい、それは無理です」 否定した私の言葉に……流石に義両親からも私の父親からも、ぎょっと したその場の雰囲気が伝わってきて心苦しかった。 だけど……どんなことがあってもこれだけは、これだけは譲れないもの、 絶対に。 これから元夫にどんな言葉で縋られたとしても、私の気持ちを 変えることは不可能だ。「どうして? その、え~と……言いにくいけど確かに俺は良い夫ではなかったからな。 だけどそういうのも記憶にないはずだし、なのに何で戻ることを そんなに簡単に拒絶するのか、さっぱり分からないなぁ~。 困った」 「実は私、助けて貰った溝口さんと結婚してるんです。 だから、この先あなたとの婚姻生活はできないんです」「ちょっと待ったぁ~! 」 元夫が興奮気味に大声で待ったをかけた。 だけどその声に強さはなく、最後の語尾は震えてひしゃげたような 声音で終わった。「それ、籍入れられないんだからただの事実婚だろ? 悪く取ると不貞になるんだぞ! 」『アンタがそれを言うか? 言えるのか?』 と私は胸のうちで呟いた。「ほんとっ、不貞、不倫、浮気、言い方いろいろですが、だらしない イメージが強いですよね? 」 私の確信犯的反撃に、脛に沢山の傷を持っている元夫は少したじろいた。 少しは昔の己の行動を反省するがいい。「私はそういうの、駄目っ。 他人に対しても許せないけれど、自分に対してもぜんぜんっ駄目です」「なら、どうして……」「私と溝口は籍も入れてる正式な夫婦です。 誰にも文句言われるような関係ではないんですよ? 」
元夫との話し合いの日を迎えた。 私は事故でずっと記憶を失くしたまま、という設定で話し合いに臨むことを決めていた。 啓太さんと母とも相談して3人でそういう結論に至った。 なので母には、元夫や私の父親、そして元夫の両親併せ今のいままで私とは行方不明のまま会えていないという設定で、立ち振る舞ってもらうことになっている。 碧は、一通りの話し合いで落ち着いた状況になってから、皆に会わせようということで、碧は話し合いの場には連れて来なかった。 そして啓太さんには今の夫というより、事故の時から大変お世話になっている恩人という立ち位置で、控えめに奥の方に陣取ってもらうことにした。 ちょっとした和食のお店の個室を借りて、再会と今後の話し合いが始められることとなった。 ひとまず揃った親族の前でどうしてこんな風になってしまったのか、というあらましを説明させてもらった。 まず意外なことに、私を見て父が涙を零した。 母は出てこない涙に四苦八苦しながら大泣きを装った。 『お母さん、上手くいってるわよ?』 「記憶が戻っていないので、思い出せないのですが、お2人にはご心配おかけしてすみませんでした。ほんとに、ごめんなさい」「しょうがないさ、大きな事故にあったんだから。 生きててくれて私はうれしいよ。 もう会えないかもしれないと諦めていたからなぁ。 よかった……よかった生きててくれて」「ほんと、果歩さん、私や主人もどんなにうれしいか。 こうやって生きてるあなたに会えて」と義母が言ってくれた。「康文があなたに心配かけてばかりだったからあの頃。 事故だってそのせいだったかもしれないわね。 心労が原因でついうっかり碧のことを忘れたんだよきっと。 康文とは果歩さんの行方が分からなくなってからも絶縁は続けていてね、私らは康文から果歩さんのことで連絡をもらうまで会ってもいないし、まして話などしてなかったんだがね。 今回息子の姿を見てまた情けなくなりましたよ。 ぜんぜんパリっとしてなくて、なんていうか侘しさ漂う中年というか」「親父ぃ……そんなぁ~」「まぁ、息子が今更どんな言い訳と贖罪と懇願をするのか想像もつかないが果歩さん、康文と今後のことを話し合ってみてやってくれますか」と親心を覗かせた義父の申し出を受けた。
不思議と何故かこの時まで届けを出すっていうことに思いが及ばなかったけれど、取っといてよかったよ。 これで晴れて私はシングル。 誰と恋愛しようと結婚しようと自由なのだ。 夫が本気で離婚しようと思って私に離婚届を出したわけじゃないことは明白で──そのあとこの話を夫が持ち出すことはなかったし、私からもなかったのだから。 ただの憂さ晴らしに夫が書いた離婚届。 ブラボ-! お陰でスムーズに独身になれたわよ? そして私は離婚届けを出したことを溝口さんと母に報告し、それから6ヵ月と少し過ぎた頃、私は溝口果歩になった。 ◇ ◇ ◇ ◇ そして十数年後、私は某スーパーとダイキのある駐車場で元夫と遭遇したのだった。 私には信頼のおける溝口啓太という愛すべき夫と、ずっと私を支えてきてくれた愛する母がいる。 そして碧が。 元夫も頑固一徹で、人の気持ちに添えない父親も、もうちっとも怖くないし、障壁でもない。 Come on! そんな気持ちで何やらしゃべり倒している元夫を、私は見ていたのである。 あんなに趣味のように浮気しまくっていた目の前の男は、着古した上着を着て、顔色の余り良くない風貌をしている。 そんな男は、何気なくすれ違っただけなら元夫とは気がつかなかったかもしれない。 今の夫が駆け寄って来た時、ふたりの差があまりに鮮明すぎて、元夫のことを思わず哀れんでしまったほど。 時は残酷なものなのだと思った。 こんなにもひとりの人間の風貌や雰囲気、生活感を変えてしまうものなのだと。 私は元夫にどんな風に映ったのだろう? 私もあの頃と比べたら老けているはずだから。 でも声をかけてきたってことは、全く別人とまでは変貌してないかな? 話合いの場を設けることになったけれど、さてさて──どんなことになるのやら、少しワクテカしている自分がいる。
溝口さんが夫だったらどんなにいいだろうかと、叶うはずもない願いを私もまた抱《いだ》いていた。 心が通じ合っていたことを知って、すごくうれしかった。 そこで、私はあることを決心した。「溝口さん、そう言ってもらって私すごくうれしいです。 少し待っていてはいただけませんか? 」「……? 」「詳しい話しは後日ということにさせてください。 お願いします」「分かりました。 何のことやら何を待てばいいのか正直僕には良く分からないけど、待っていたら何かお話聞けそうみたいですね。待ちますっ」 ◇ ◇ ◇ ◇ その夜、私は貴重品を入れてあるチャック付きクリヤーケースからある書類を取り出し、改めて眺めた。これを有効活用する日が来ようとは……。 翌日碧を保育園に預けたその足で、その書類を持って区役所へ行き、その届けを提出した。 それは夫が商社マン時代に某国へ赴任し浮気をしていた頃に、やめてほしいと言う私との間で言い合いになった時、夫から手渡された離婚届けだった。 いくら浮気をしても私が夫を見限ることなんてできはしまいと、高を括っていた夫が私に対して取った意地悪で下衆な行為だった。「何ごちゃごちゃ言ってんだよ。 俺は別に別れてもいいんだぜぇ~。 女に不自由はしてないんだからなっ。 ほらっ、これ、見てみ! 緑の紙……知ってるだろ? ほらほら」 と言いながら夫はサインをした。 誰に書いてもらったのかすでに保証人の欄も埋められていて──本気度マックスをアピールしてきて、私の目の前で一文字一文字ゆっくりと見せ付けるようにサインし、私に手渡してきたのだった。「そんなに俺のことが気にくわないんならいいぜいつでも。 出せるものならな! 」 そう言い残して夫は外へ出て行ったことがあった。 私は悔しくて母親にサインしてもらい……『いつか出してやるぅ』~と息巻いてたっけ。
翌日は休日で──下の階に溝口さんからお茶に誘われて、碧が遊んでいる横で私と溝口さんは昨日の話題に触れた。「すみません、昨日は勝手なことを言って。 お母さんも果歩さんもお気を悪くされてないですか? 」「ええーっ、とんでもありません。 私たちのほうこそ碧がとんでもないお願いをしたのに止めも叱りもせず溝口さんにお任せしてしまって申し訳なく思っているくらいです。 ほんとにすみません。 なんか碧のお願いっぷりがあまりにもスラスラと自然で、何て諭したらいいのか分からなかったものですから」「あのぉ~、お気を悪くされてないのをいいことにでは、もうひとつ……僕の気持ちを言ってしまいます。 あのぉ、あくまでも僕の一方的な気持ちなんですけど」 もうひとつの気持ち? 溝口さんは何を言おうとしているのだろう? 私はこの時きゅっと胸が苦しくなるのを覚えた。 そして彼の次の言葉を待った。「僕は本当に碧ちゃんのお父さんになりたいと思ってます。 そして果歩さんの旦那さんになれたらいいのになっ……とも。 僕ね、天涯孤独っていうヤツなんですよ。 遠い親戚くらいはいるのかもしれませんが成人する頃までに相次いで両親失くして。 もうその時点で両親双方の祖父母も鬼籍に入ってたので。 近所のおばさんや役所の親切な担当の人も一生懸命手をつくしてくれたのですが、両家共に縁薄い家系だったようで縁者を見つけることはできなかった。 そんなだから、僕は結構寂しく暮らしてきてたんです。 でもひょんなことからあなたと碧ちゃんに出会って……そしたら果歩さんのお母さんとまで仲良くなれて……なんか気付かないうちに3人が僕の家族だったらって、夢見るようになってました。 なので碧ちゃんのお願いは本当にうれしかった。 ははっ、でも駄目ですよね。 果歩さんは今はどうあれ、人妻だから。 万が一お付き合いするようなことになったら不倫になってしまう。 でも、果歩さんと碧ちゃんと澄江さんが僕のモノならどんなに幸せだろうって、いけないことなのについ考えてしまうんですよね」 やさしさいっぱいで出来上がっている溝口さんの顔。 眉と口元が動き、表情に寂しげな雰囲気を漂わせ──彼は心の奥底に秘めていたであろう本心を吐露してくれた。『みぞぐち……さん!』
頑固な父親がいるのでそうそう何度もというわけにはいかなかったけれど、母は父親がまだ定年前で働いている間は、父親の出張や同窓会、ゴルフ旅行や冬場のカニすき旅行等々、合間を見ては泊まりに来てくれた。 メゾネット式の2階での楽しい私たち親子の交流に、やさしい性格の溝口さんもちょこちょこ顔出ししてくれるうちに、私や碧ばかりでなく母とも親しくなっていった。 母の口癖が──『溝口さんのような人が私や果歩の旦那さんだったら、どんなにか私たち幸せだったでしょうに』だった。 そういう時──『私もお母さんも男運ないんだね』って私が母に言う。 そしてふたりしてため息をつくのだった。 やさしい穏やかな男性と縁のなかった私たち親子にとって、誠実でやさしい溝口さんは心のオアシスになっていった。 そんな日々の中、6才になろうとしていた碧が、4人でクリスマスパーティーをしていた時のこと。 ほんとに、それはほんとうにへっ? っていう感じでトトトトって碧が溝口さんの背中にペタッてくっついた。 そしておもむろに、言った。 碧は、その頃溝口さんから『啓太って呼んでね』って言われてて啓太くんっていつも呼んでたんだけれども……。「啓太くんっ、碧のおとしゃんになってくださいませ。ムフフ~」って朗らかにお願いをしたのだ。 なんかその場で聞いていた私も母も、当人の溝口さんも一斉に「「「あははははっー」」」て笑った。 続けて、碧が駄目出しをした。「啓太くんはもう碧のおとしゃんだもンね。 だめよ、だめだめ。誰にもあげなぁ~いっ」「碧ちゃん、うれしいなぁ~俺でいいの? 」「はいっ……おれでいいですぅップ、デヘヘ」 「じゃあ、今日から俺は碧ちゃんのお父さんになります。 碧ちゃん、俺をお父さんにしてくれてありがとっ」 私と母は顔を見合わせてかなり焦った。 そしてこの時不謹慎にも、碧が羨ましかったのである。 碧ずるいぃ~、溝口さんにお父さんになってもらって……。 私だって……私だって……溝口さんには旦那さんになってもらいたいよ。 厚かましくもそう思ってしまったのである。 そんな私を見ている母の顔を見て……ふと想像してしまった。 まさかまさか、母よ、あなたまで私のような考えを妄想したりしてないわよ……ね?







